2024年3月1日

 なにかしら書く習慣をつけてみたいと思う。生産をしていないと息苦しくて仕方がない、という状況に自分を持っていきたい。小説を応募すると言ってその応募作品や結果を隠す友人、声優として大手事務所に所属したにもかかわらず、マネージャーからオーディオブックの仕事すら回されず、生半可なYouTube活動をしている(一方的な)知人、炎上案件の当事者、そういったものを眺めているときに沸き立つある種のエネルギーが、生産をしなければならないと追い立てる。なるべく自動筆記のように、読むように、観るように書かなければならないと思う。この間観た映画や舞台の感想も、胸の中にずっと閉じ込めておくことこそが最もおもしろいことだと思ってしまうが、それは正しいと信じつつ、噓をつくことに慣れなければならないと思う。間違えることに慣れ、指摘されることに慣れ、動機のわからない罵倒に晒されることを悦ばなければならない。書けば消える感情や習慣や事物。そうやって日々の生活や管理すべきものが崩れてゆき、これまでに得た信用や友情が薄れていくのを眺めていくことを愉しみます。自主的なかたちに文末を変更します。ガザのことを思い出します。あるいは新宿駅の一角のことを連想します。分断と文壇のことを勉強します。鳥の声のことも。映画のつく嘘について。劇中で泣かない堀北真希のメイクに涙の跡がついていたこと。意味ではなくてリズムと思想でよい。忍従の生液。縦横無尽に移動しているつもりで、一向に濃くならない点を描いていきます。キャンバスに下地を塗ろう。ジェッソは高くて買えなかった。キャンバスすらも高かったが、錬金術がしたい訳ではないから別にいい。錬金術はどんなに健康におこなっても心臓を腐らせてゆくようだ。副流煙がそこにあるような気がして、ときたま吸いにいく。いろいろな地面。いろいろなコンクリート。電柱の周りなどは特に温かみを感じる。はみ出た部分を爪でいじったりなんかすると、ぽろりと剝がれるのかしら。もっと単語がほしい。文末や飾りじゃなく、もっとプライベートな単語を収集して、「ご自由にお持ち下さい」と軒先に並べたい。一階の部屋にしてよかった。群れの一匹として東京に暮らしたことはこれまでなかった。それなりのZ世代として息を吸わせていただいている。見返すべきだろうが、来るべき悪文体の到来を早めるためにやめておく。刀を研ぐことはたやすい。自分より美しい分身を生み出したいという欲望を自覚しておくともっとおもしろくなるのではないか。クラクションを鳴らし続ける車。車には車の論理がある。二千字くらい書きたかったがもうだめだ。